古代中国の蓮酒(碧筒酒)を作ってみた

 暑い夏に、つめたいビールがうまい季節です。
 中国大陸の人も日本の人と同じで、猛暑のおともはビールだ。中国では「青島(チンタオ)ビール」というのがいちばん有名なメーカーで、山東省の青島というところでつくっていて、日本でもアサヒビールが販売している。青島ビールはクセやキレが全くないまったりとした味で、バドワイザーなみに軽いんだけど水っぽくはなく、あっさりしてすこし甘くて、いくらでも飲めてなんだか妙にはまる。青島にはビールの見学工場があって、夏には観光におとずれた人民諸氏が、ひまわりのタネをたべながら冷えたビールをうまそうに飲んでいる。
 しかし山東省には昔、夏にもっとうまそうな「碧筒酒(へきとうしゅ)」というものがあったらしいんである。

 九世紀ごろの中国でかかれた『酉陽雑俎』という本の一節に、下のようなことが書いてある。

白文
歴城北有使君林。魏正始中、鄭公愨三伏之際、毎率賓僚避暑于此。取大蓮葉置硯格上、盛酒三升、以簪刺葉、令与柄通。屈茎上、輪菌如象鼻。伝吸之、名為碧筒杯。歴下効之、言酒味雑蓮気、香冷勝于氷。
てけと書き下し
歴城の北に使君の林*1有り。魏の正始中、鄭公愨(ていこうかく)は三伏の際、毎(つね)に賓僚を率いて此に避暑す。蓮葉の大なるを取りて硯格の上に置き、酒三升を盛り、簪で以って葉を刺し、柄と通ぜしむ。屈茎の上、輪菌(りんきん)は象鼻の如し。之を伝(つた)え吸うに、名を碧筒杯と為(な)す。歴下が之に効(なら)うに、酒の味が蓮気に雑(まじ)り、香りは氷に勝り冷しと言う。
てけと訳
歴城(いまの山東省済南市歴城区)の北に州郡の長官の林*2があります。三世紀の三国時代曹魏、または六世紀の南北朝時代北魏の正始年間のときに、鄭公愨という人はいつも七月半ばから八月はじめのころ、幕僚をひきいてここに避暑におとずれていました。大きな蓮の葉をとって硯うけの上に置き、お酒を0.7リットルまたは1.8リットル*3ほどつぎ、かんざしで葉を刺して、葉柄とつうじるようにします。茎の上がまがってぐにゃりとしたところは、まるで象の鼻のようです。これをつたって吸うので、名を碧筒杯(みどりのストローのお酒)といいます。歴城の城下のものがこれをまねしたら、お酒の味が蓮の香気にまじりあい、よい香りで氷よりも冷たかったといいます。

『酉陽雑俎』巻七 酒食、商務印書館

 この鄭さんが発案した碧筒酒(象鼻酒ともいうらしい)というのを、ずっと飲んでみたいと思っていたのだ。
 上の文章をすこしくわしく読んでみる。「三伏」というのは、7月10日のエントリーのように計算してみると、今年は7月15日から8月14日ごろのことらしく、ちょうどいまごろだ。山東省済南市というのは、中国の軽井沢のような避暑地である石家庄というところの近く気象庁中国気象局のサイトで、済南市のここ数日の気候を日本と比較してみる。

日にち山東省済南市東京都千代田区
7月23日多雲 気温30〜22℃ 微風曇一時雨 気温26.7〜23.8℃ 平均風速2.6m
7月24日陰雨転陣雨 気温29〜22℃ 微風快晴 気温31.5〜22.8℃ 平均風速3m
7月25日小雨転多雲 気温28〜22℃ 微風晴一時曇 気温30.8〜22.4℃ 平均風速2.5m
7月26日多雲転小雨 気温27〜21℃ 微風曇時々晴一時雨 気温32.0〜24.9℃ 平均風速2.6m
 済南と東京はそんなに変わらないけど、東京のほうがさきに梅雨がぬけかけていて、すこし暑いようだ。「氷よりも冷たい」お酒をたのしむ予定なんだから、暑いぶんには構わないだろう、ということにした。
道ゆく人も暑そうだ
 つぎは、ハス。ハスがいっぱいあるところといえば、すぐに思いあたるのは上野の不忍池だ。
不忍池にあふれんばかりのハス
 たしかにハスはいっぱいあるけど、これって食えるんだろうか。
写生をする子供も暑そう。夏休みの宿題かな
亀だってうだっているし
西郷さんもさぞお暑いことだろう
 上野公園はとてもきれいなところだけど、公園の植物は観賞用なので、食べられない農薬とかをかけてあるのかもしれないし、すぐとなりには動物園もあるから、ここに生えているものを口にするのはどうだろうという気がする。だいたい、勝手にハスを切っていってはいけないんだろうし。
 こうして悩んでいたところ、茨城県出身の友人から「故郷土浦市は広大な霞ヶ浦を有し、水資源が豊かなために、日本一をほこる蓮根の生産地なんである」という情報を得られた。まじで! レンコン畑ならばハスがいっぱいあるだろうし、レンコンは食べるために作っているんだから、その葉っぱだって食えないということはないだろう。というわけで、常磐線にのって土浦へいってみた。
一時間ぐらいでついた。東京から予想外の近さ
 車窓からみえる田んぼにはしゃいでいるうちに、あっというまに土浦についた。ちょうど正午なので、駅で「土浦レンコンカリー」を食しながら今後について考える。
土浦市のれんこん度の高さに安堵する
霞ヶ浦には海軍航空隊があったから、カレーが名物なんだろうな。海軍あるところカレーあり。
 観光案内所でもらった地図によれば、レンコンの栽培がさかんなのは、市東部にひろがる霞ヶ浦の湖畔の地域らしい(場所)。案内所のおじさんの「ハスの花はそろそろ見ごろだっぺよ!」というお勧めに力づけられつつ、レンタサイクルを借りて二キロメートルほどをひとっぱしりする。この日も朝から快晴で気温は摂氏三十度をこえ、セミがそこいらじゅうでシャワーのようにミンミンと鳴いて、とても暑い。
『土浦14号』をお借りする。まさかハスの葉っぱを食いにきたとは言えない
 しばらく走っていくと、霞ヶ浦がみえてきて……
海じゃなくて湖!
おおー!
いちめんのハス
 蓮畑!
 すばらしい。そこいらじゅうの見渡すかぎりにハスの畑、というかハスの田んぼがひろがっている。さすが友人の自慢する日本有数の水郷地帯にして、レンコンの名産地である。
ひろがる田んぼと蓮畑、そのむこうには霞ヶ浦
 農家の庭先で犬の毛をすいていたおじさんにわけを話してうかがってみると、「レンコンになってから食えばよかっぺー!」と面白がられつつも、こころよくハスの葉をわけていただいた。ありがとうございます!
トトロが傘にしそうなでかさの葉
 土浦14号に巨大な葉っぱをつんでフラフラとしていると、湖畔に古いバス停をみつけたので、そこで蓮酒の実験をしてみることにする。
いまは使われていないバス停
 用意したものは、水、お酒、コップ、果物ナイフと、よく縁日でヤキソバが入っているような平たいトレイである。鄭さんが用いていた「硯格」というのは、たぶん硯をいれる浅い箱みたいな受け皿のことなので、近いようなものを選んでみた。
土浦駅前のイトーヨーカドーで買ってきた道具一式
 茎をひっくりかえして見てみると、レンコンのようにいくつもの穴があいて中空になっている。
こんなところまでがレンコン状だとは
 そして葉っぱをみていると、茎のうえに葉がひろがって、ちょうど中心がマトのようになっている。この中心に穴をうがって開通させれば、葉と茎がつながって漏斗のようになるんだろう。
まんなかの白いところから茎がはえている
 全体を水でざっと洗ってから、カンザシを果物ナイフで代用して、まんなかをくりぬく。
あ、これはたしかにカンザシとかアイスピックのほうがやりやすかったな、と気づくもすでに遅し
 どうにか真ん中に穴をあけられたので、葉全体を柱にたてかけて、茎の一端をトレイにのせた。鄭さんがやったのは、たぶんこういうことなんだと思う。
トレイが透明なので、見えづらくてすみません
 ほんとうに漏斗のようになったんだろうか? とりあえず水をそそいでみると、葉の中心にあけた穴からすーっと吸い込まれていって……
まるっきり漏斗だ
 すぐに茎の先端からいっぱい出てきた!
写真にとれなかったけど、水道の蛇口みたいに水がザーっと出てきた!
……ただの水?
 茎からでてきたものは、そそぐ前と同じように透明で、飲んでみてもとくに冷たくもなく、ハスの香りもなにもしない、ごくふつうの水だった。茎をくわえて吸い飲んでみてもあまりにもただの水なので、かなり拍子抜けする。このぶんでは、たとえお酒をそそいでも、ハスの香気が……とか、氷よりも冷たい……とかいうすばらしいことにはならないんじゃないか。だいたい中国の人は、白髪三千丈とかいつもいうことが大げさなんだー。と、かなり疑心暗鬼になってみる。
 でもせっかく茨城まできたんだから、気を取りなおして次はいよいよお酒をためしてみることにした。
真冬に芯から暖まりそうなワイルドさ
 三世紀中国のお酒がどんなものかはわからないけど、以前このへんで教えていただいたことから日本酒の濁り酒がちかいんじゃないかと思ったので、牛乳のように真っ白ににごってアルコール分15度の、ほぼドブロクのようなやつを選んでみた。そのまま飲んでみると、とてもおいしいんだけど、すごく強烈に野性的な味がする。真冬、雪にまみれた熊のような猟師さんが山奥でイノシシでもとったあとに、山小屋のいろりばたで鍋をかこんで飲みそうな感じのやつである。汗だくの真夏には、できれば遠慮したい系統だ。ああ冷えたビールが飲みたい、とか思いながらも、とにかく水とおなじようにしてお酒をそそいでみる。
追記:この画像についてのコメントはうけつけませんw
 さっき水をそそいだときには、すぐに茎の下端から水があふれ出てきたのに、こんどのお酒はすーっと茎に吸い込まれていったのはいいけど、全然でてこない。どこかで詰まったんじゃないかと不安になっていると……
チョロチョロとでてきた
 でてきた! しかし、ゆっくりと少しずつしか出てこない。しかも、注ぐまえよりも明らかに色が薄くなっている。注ぐまえのお酒は牛乳みたいに真っ白だったのに、出てきたのは薄めのカルピスのような風合いだ。なんだこれは、と思いつつ、トレイにすこしたまったお酒を飲んでみた。
 ! これは!!
 すごい!! さっきまで猟師さんむけだったようなワイルド酒が、なんだかものすごくすっきりとスマートになっている。軽やかでフルーティで、優雅な香気が舌をかすめ、まるで野獣が王子になったかのような変貌ぶりである。温度はそんなに冷たくなったわけじゃないけれど、すばらしいハスの香気が、冷えたビールよりもひんやりとした涼しさをあたえてくれる。なんつう上品な味! さっきは白髪三千丈とか疑って、マジすまんかった。これはすばらしい。鄭さんのいうことは嘘じゃなかった。そこらの清酒よりもずっとおいしく、真夏に最高の酒である。
感動しすぎて、写真にとるのを忘れていっきに吸い飲んでしまった。すみません
 かくして、蓮酒はほんとうにうまいということがわかった。
 鄭さんが避暑におとずれていたという済南は黄河の河口付近で、利根川河口の土浦と同じように、水が豊かなところである。いっぽう、鄭さんがつかえていた曹魏、または北魏の主要な国土はわりと乾燥した中国北部がおおくて、ハスがたくさん生えるようなところは少なそうなので、鄭さんはふだんの任地ではのめないこのお酒がのみたくて、わざわざ毎年、済南までバカンスにきていたのかもしれない。
霞ヶ浦のいいながめ
 ちなみに、茎を家にもってかえって、下の写真のようにグラスにそそいだお酒にストローのようにさして吸って飲んでみたところ、これはそのままのにごり酒の味がしただけだった。やっぱり漏斗のように使うのがいいみたいだ。
帰りにハスをもったまま隅田川の花火にいったら、いつのまにか折れて短くなってしまっていた
 土浦市のみなさん、どうもありがとうございました!

おまけ

おまけ写真その1:土屋氏九万五千石、幾重ものお堀にとりまかれた水郷のお城で有名な土浦城は、いまはちいさなかわいいお堀と櫓をのこした城址公園になっていた
おまけ写真その2:お城のお堀にうかぶ、これはハスじゃなくてスイレン
おまけ写真その3:土浦城(亀城)のカメ
おまけ写真その4:いいガスタンク(うらにはレンコンの絵と「ようこそ土浦市へ」の文字が)
常総学院って土浦市だったのかー。おめでとうございます!

京都の三室戸寺というところで「ハス酒を楽しむ会」というのを毎年やっているらしい(7月31日追記)

 いまNHKの朝のニュースをみていたら、京都のきれいなお寺に大量の人があつまって、みんなでハスをくわえて蓮酒をのんでいる映像がうつっていた。たぶんこの記事に書かれている、「ハス酒を楽しむ会」という行事なのかもしれない。むこうでぜんぶ用意してくれてて、行くだけで優雅に蓮酒がのめるなんてうらやましい。せっかく週末に、猛暑の茨城で酒瓶と地図をかかえて自転車でウロウロしたのにー! でも土浦はすごく楽しかったし、京都は遠すぎるから、今年は茨城にいってよかった。そのうちこの行事の時期に京都へ行く機会があったら、このお寺の蓮酒もぜひ飲んでみたいものであります。
 京都のお坊さんが使っていたお酒は、透明な清酒っぽい感じで、すでに手水鉢で冷やしてあった。蓮酒に用いるには、清酒よりもぜったいにごり酒のほうがおいしい! と思ったけど、お酒じたいがもともとよく冷やした夏むきの軽やかで上品な清酒だったら、はじめからさわやかでおいしいから問題ないっぽいのかも。いいなぁ。

*1:使君林っていう固有名詞かもしれない

*2:「州郡の長官(使君)の林」じゃなくて、「使君林」っていう固有名詞かもしれないorz

*3:三世紀中国の一升は0.2023リットル、六世紀は0.5944リットル