中国と世界の森林面積と気候の相関関係についてのいろいろ

 Kay-akira Hirotaさんのブログで紹介されていた中国の本の話が、やたらと面白いんである。とくに下の部分。

中国の森林被覆率
西周の時代は53%だが、現在はたったの12%。
四分の一以下である。
http://blog.so-net.ne.jp/kaysaka/2007-07-21

 まじで!? それは驚き。驚いたついでに、さいきんの各国の国土に占める森林面積の割合と、首都の年間平均気温・総降水量、人口密度との相関関係をしらべてみた。

国名森林面積平均気温年間降水量人口密度
日本66.8%15.91466.7336
フィンランド65.8%4.9655.515
ブラジル65.2%20.71478.021
インドネシア60.6%27.51903.2121
スウェーデン59.3%6.7540.120
韓国51.2%12.31343.2491
ザイール48.2%24.91142.824
マレーシア47.1%27.02389.769
旧ソ連37.2%5.4705.38.5
ドイツ30.7%9.7570.6233
カナダ26.5%6.2990.23.2
アメリカ合衆国23.2%14.61004.229
イタリア22.1%15.6716.9192
インド21.9%27.62165.0318
中国14.3%12.3575.2134
チリ10.5%13.8300.420
イギリス9.9%10.0750.7244
オーストラリア5.4%13.1633.22.5
森林面積(国土緑化推進機構):1997年、単位%(http://www.minnanomori.com/use/u_info02/u_201.html)、首都の年間平均気温、年間総降水量(気象庁):1971〜2000年平均、単位℃、mm(http://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/db/monitor/nrmlist/allclimdata.html)、人口密度(CIA、人口/国土面積):2002年、単位/km^2(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%AF%86%E5%BA%A6%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)※森林面積データの旧ザイールと旧ソ連に関しては、他の要素の数値はコンゴとロシアのもの。
 下がそれぞれの散布図と回帰直線。赤い○でかこまれたプロットが中国、□が日本(参考)である。



 もちろんこのグラフは、各国の地理や、首都と他地域における気候の違いを無視した、めちゃくちゃに雑なものである。だからなんだと言われればアレなんだがw、どのグラフの相関も非常に弱くて、あるんだかないんだか……という程度なんだけど、とりあえず回帰直線をひいてみると、中国はどのグラフでも、そこからそんなに遠くにいるわけじゃない。だからまあ、世界の平均とくらべてみた場合は、中国はそこまで国土の荒幣を憂うこともないかもしれない……とか、世にも無責任なことを言ってみたり。
 でも強いていえば、中国はどのグラフでも、もうすこしがんばってもおかしくない位置ではあるかもしれない。ぐぐっていたら下記のような記事をみつけたけれど、総森林面積を18.2%ぐらいに持っていくのは、国土のポテンシャル的には充分いけそうである。

中国の森林被覆率、2005年までに18.2%を目指す

2000.06.20
国務院が発表した「全国生態環境建設計画」によると、政府は、林業発展の「第10期五カ年計画」とリンクさせることにより、今後50年間の造林建設目標を以下のように制定した。2005年までに、森林面積を1150万ヘクタール増加させ、森林被覆率を18.2%にする。また2010年までに、森林面積を2300万ヘクタール増加させ、森林被覆率を19.4%とする。更に2030年までには森林面積を4600万ヘクタール増加させ、森林被覆率を 24%以上まで高める。長江、黄河中流・上流域や「三北(東北、華北、西北)」の砂漠化が進んだ地域や、旱魃地区の生態系を大幅に改善する。
(後略)
http://j.peopledaily.com.cn/2000/06/20/newfiles/a1030.html

 これは2000年のニュースで、この目標がぶじに達成されたのかどうなのかを自分は知らないんだけど、なにも中国は不毛の荒野に木をはやそうとしているわけではない。他国と比較するとおそらく、中国大陸は本来的には、近代化したいまの社会と人口を抱え養いつつ、なおあたりまえに18%ぐらいの森林を共に育てられる余力をもった豊かな土地のはずなんである。経済開放もいいけど、それよかぜひ国土緑化を(緑ペンキじゃなくw)がんばってほしいもんである。
 あと、日本の森林面積はすばらしい。雨が多くて気温が暖かいというのも大きいけれど、きっと国土に森林限界に達しない程度の比較的低い山が多いので、人が平野に集中するぶん、山の木々が守られているんだろう。そう考えると、わが国の緑化のためにいちばん重要なのは、山をハゲにしないことなのかもしれない。
 しかし、中国の森林面積は三千年のうちに、なぜ四分の一以下に減ったんだろう? やっぱり開墾の積みかさねかなぁ。中国の地理と気候で53%も森林があったということは、西周はほとんど森のなかだったんだろうw。周公旦や穆王は、ものすごい鬱蒼としたところで戦争してたんだなー。そりゃ、北部の草原地帯の民族しか馬を重宝しないわけだよね。のちに森がちな国土を開墾していったことが、馬術にたけた北部の民族が中原で活躍していったことをすこしは後押ししたんじゃないだろうかとか、ものすごくいま思っただけのことを言いっぱなしにしておわり。

周代までの黄河は黄色くなかった(7月24日追記)

 上の記事について、Kayさんからコメント欄で以下のようなことを教えていただいた。ありがとうございます!

Kay 『 おおっ、凄い。こんなに話が展開するとは驚きです。
 私が中国の自然破壊で一番驚いたことは、黄河が”黄”河じゃなかったことですね。黄河と呼ばれるようになったのは唐代からで、それまでは川底まで透けて見えたために黒い河と呼ばれていたとか。史念海という人は、戦国末に黄河が濁り始めたと言っています。
 ところが最近だと、黄色く濁るどころか、そもそも水がほとんどなくなっていて、1997年にいたっては、河水が海に届かない日が226日間もあり、河口はひからびていたそうです。最近は取水制限しているので黄河が干上がることないそうですけども。』 (2007/07/22 20:02)

syulan 『ありがとうございます!
黄河
へえー、黄河は昔は澄んで黒かったんですね!
周公旦のころの黄河の主の大亀の話とかは、
澄んだ河だったから見えたことだったんですねー。
晋の詩人はすでに「岩壁の長江とくらべて砂洲のひろがる黄色い水」の
黄河のながめを詠んでいますから、
そのころにはもうずいぶんと黄色く砂が混ざっていたんでしょうね。
戦国時代には冶金技術が発達して、
鉄が使えるようになってりっぱな農具ができたおかげで
多くの人口が養えるようになったぶん、
畑に開拓された国土から急激に森が失われてしまったんでしょうか。


水源を同じくチベットに求める長江は
三千年にわたってほぼ枯れることがないのを考えると、
土壌の性質とかも大きいでしょうが、長江の水量は、
水源からはなれたあとの降雨に頼る部分が多いんでしょうか。
純粋な土地の豊かさという点では、中原以北の中国はもはや二千年以上前から、
国土のキャパシティが上にのっている政府の要求するそれを下回っていたのかもしれませんね。
しかし中国の北半分も広大な土地資源であることには間違いないので、
土地の豊かな南半分とどううまく使い分けていくかが面白いですね。
欧州でも北米大陸でもやっていることなので、
中国大陸も、上にのっている政府がうまく舵取りができさえすれば、
国土の自然なキャパシティの何倍もの収穫を得て、国内外に分配することができそうですね。
それは朗報でも、脅威でもありますが(笑)。』 (2007/07/24 03:01)

黄河」の古い用例は三国時代ぐらいから?(7月25日追記)

 上の記事について、長文(ryさんからさらに以下のようなことを教えていただいた。ありがとうございます!

長文(ry 『漢文で黄河を指す場合は大抵「河」の一文字で表現されることが多いので
あまり気にしたことはありませんでしたね。


ちょっと辞書を引いて調べた限りでは「黄河」の古い用例は
魏・李康「運命論」に
黄河清くして聖人生まる」(黄河清而聖人生)
と出てくるようですね。
はたして李康は「黄河」という固有名詞として使っているのか
それとも黄色い「河」ということで、「黄」は固有名詞の「河」を修飾しているだけで
黄河」という二文字の固有名詞の意味で使っているわけではないのか
素人の自分にはよくわかりませんが


漢書』にも二箇所「黄河」が出てきますが、いずれも誤字か後世の付加と見られていて
清朝考証学者に


(後世の人が)西漢前漢)以前では
「河」を「黄河」と呼ばないことを知らなかったのだ


と突っ込まれています。
大漢和と大詞典を見た程度なのでもっと古い用例はあるかもしれませんが
魏晋の頃には、すでに黄河が濁っていたんでしょうね』 (2007/07/25 02:00)

syulan 『ありがとうございます!
自分も素人なのでよくわからないのですが、
戦国七雄の魏がすでに中原を開拓しつくしているので、
使い尽くされ、保水力のなくなった土地が砂を吐くようになった結果、
戦国末に河が黄色くなったんでしょうか。
やっぱり戦国時代に冶金技術が発達して、農具が鉄製になったのが大きいんでしょうね。
農具が丈夫に→開拓が進む→収穫が増える→人口が増える→農民が増える→開拓が進む(ry
という無限ループですねw。


戦国末の紀元前二世紀にはすでに黄河が濁っていたとすると、
班超・班固のうまれる二百年も前から、河は黄色かったんですねー。
班固が「河って黄色いじゃん、黄河って書いちゃえ」とかした可能性は……ないのですねw。』 (2007/07/25 03:39)