台湾にも「萌」っていう漢字あるよね、と曹萌さんについて考えた

 エキサイトニュースの↓この記事が、ちょっと気になった。

台湾で、女の子たちが「萌え〜!」と叫んでる!?

[ 2007年06月26日 10時00分 ]
先日、ある雑誌の取材で、台湾から日本に観光に来ている女の子たちと話す機会を得た。
台湾での日本の人気について聞いているうち、女の子たちが何か見るたび、口々に言う「モン〜!」だか「ミン〜!」だかが、どうにも気になってしまった。
聞いてみると、コレ、「萌え〜!」のことらしい。なんと、いま、台湾では女の子などが会話中で頻繁に使っているのだという。
「台湾には、もともと『萌』という漢字がないので、くさかんむりの下の『明』という音で読んでいるんですよ」
と言うのは、台湾から日本に来て10年以上になる男性。
女の子たちに実際に、「萌(ミン?)〜!」をどんなときに使うのか聞いてみると、「幻想的で美しいものについて言う」ということだったので、日本で使われるソレとは、ニュアンスが違うというか、もっと幅広い意味で使われているようでもあった。(後略)
http://excite.co.jp/News/bit/00091182695694.html

 うそお、「萌」って国字じゃないよね? だって漢語大詞典はおろか、自分のしょぼい中日辞典にさえもちゃんと「【萌 meng】萌芽 mengya 1.芽生え、萌芽。2.新しく生まれた未熟な物事」って用例つきで出ている。それに、こないだパンダ関連で旧唐書を読んでて見つけたんだけど、巻第二十五志第五の校勘記に

白文
按通典巻四七謂、魏文帝高祖処士曹萌、曽祖高皇曹騰、祖太皇帝曹嵩共一廟、則高祖与処士君為一人、此処作高祖誤。
てけと書き下し
通典巻四七の謂うを按ずるに*1、魏文帝の高祖処士曹萌、曽祖高皇曹騰、祖太皇帝曹嵩は共に一廟し、則ち高祖と処士君は一人為(た)らんとし、此処に高祖と作るは誤りなり。
てけと訳
通典巻四七を参照して考えた結果、魏文帝曹丕の高祖父である民間人の曹萌、曽祖父の曹騰(高皇)、祖父の曹嵩(太皇帝)はみな共にひとところにまつられている(と書かれている)ので、高祖父である人物と民間人だった人物は同一人物となるために、ここ(旧唐書)に高祖と書いてあるのは間違いである(という結論に達しました)。*2

旧唐書 巻第二十五志第五、校勘記より)

 とある。つまり、

白文
司馬彪続漢書曰、騰父節、字元偉、素以仁厚称。
てけと書き下し
司馬彪の続漢書に曰く、騰の父節、字元偉は、素(もと)より以て仁厚と称さる。
てけと訳
司馬彪の続漢書にいわく、曹騰の父である曹節、あざなを元偉という人は、うまれついて情け深く親切であると評判でした。

三国志 巻一武帝紀第一、裴注より)

 このように、三国志巻一武帝紀では後漢の大宦官である曹騰の親父さんの名が「曹節」さんとなっているけど、通典巻四七*3では「曹萌」さんになってるらしいんである*4
 自分は曹萌さん説が正解だと思うー*5。だって、曹騰の孫にあたる曹操の娘で献帝劉協の奥さんである献穆皇后のいみなが「節」で間違いないのはほぼ確実なんだから、その彼女が自分の高祖父と同じいみなを持ってるとは考えづらいんじゃ?
 ×曹節(高祖父)→曹騰(曽祖父)→曹嵩(祖父)→曹操(父)→曹丕(魏文帝)&曹節(妹)
 よりも、
 ◎曹萌(高祖父)→曹騰(曽祖父)→曹嵩(祖父)→曹操(父)→曹丕(魏文帝)&曹節(妹)
 のほうが、納得がいきやすいと思う。元偉というあざなの「」という字も、「節」でなくて「」とならば「はじまり」という意味で呼応があるしね。
 というわけで、話がそれまくりだけど、とにかく「萌」という字が現代の台湾にないという先述のエキサイトニュースの記事は、誰かのちょっとした勘違いっぽいよね、と言いたかったのだ。
 しかし、オッサンの名が「曹萌」さんというのは、なんかかわいいw。

旧唐書校勘記について訂正しますー(6月30日追記)

 さきほど、長文ごめんさんからコメント欄で親切なご指摘と解説をいただいた*6

長文ごめん 『旧唐書校勘記の理解に多少誤解があるようですが
この旧唐書校勘記というのは、旧唐書の大元の原文(というか中華書局が編集の時に
参考にした原本)に「其高祖・太皇・処士君等」と書いてあったけど、
『通典』等の史料を元に「其高皇・太皇・処士君等」と直しましたよ、
といっている部分で、曹萌と書いているのは『旧唐書』ではなく、『通典』のほうです。


引用部分の
>按通典巻四七謂
というのは「『通典』巻四七を参照したところ……とあります」
ということで、この「……」にあたる内容が
>魏文帝高祖処士曹萌、曽祖高皇曹騰、祖太皇帝曹嵩共一廟
で、『通典』巻四七の該当箇所を要約した内容。最後の「則」以下の
>高祖父である人物と民間人だった人物は同一人物となるために、
>ここに高祖と書いてあるのは間違いです。
というのが、旧唐書校勘記を書いた中華書局の中の人の結論です』 (2007/06/30 02:07)

 把握しました! ありがとうございます。
 なるほどー、「按通典巻四七謂」を
 ×典巻四七が按通して謂うに → ◎通典巻四七の謂うを按ずるに
 と読み下して、通釈が
 「通典巻四七を参照して考えた結果、魏文帝曹丕の高祖父である民間人の曹萌、曽祖父の曹騰(高皇)、祖父の曹嵩(太皇帝)はみな共にひとところにまつられている(と書かれている)ので、高祖父である人物と民間人だった人物は同一人物となるために、ここ(旧唐書)に高祖と書いてあるのは間違いである(という結論に達しました)。」
 というふうになるんですね*7。きのう書いたぶんの記事を一部訂正しました、済みませんm(_ _)m(訂正箇所は脚注参照。また、デマをばらまくといけないので、間違った訳文なども脚注に格納しましたorz)。長文ごめんさん、重ねてありがとうございました!

*1:6月30日に長文ごめんさんから間違いを教えて頂いて、このように訂正しました。この記事の追記にも書きましたが、記事をエントリーした時点では「典巻四七が按通して謂うに」と訓じていましたorz。

*2:書き下しと同じように、6月30日に内容を訂正しました。記事をエントリーした時点では「典巻四七が結論づけて言うには、魏文帝曹丕の高祖父である民間人の曹萌、曽祖父の曹騰(高皇)、祖父の曹嵩(太皇帝)はみな共にひとところにまつられているので、高祖父である人物と民間人だった人物は同一人物となるために、ここに高祖と書いてあるのは間違いです。」と通釈していましたorz。

*3:6月30日訂正。記事をエントリーした時点では「旧唐書巻第二十五志第五」としていました。

*4:6月30日、「なってるんである」を「なってるらしいんである」に訂正しました。自分が直接読んだのは旧唐書だけで、通典は校勘記の子引きとなるので、伝聞形に。

*5:6月30日訂正。はじめは「旧唐書のなかみはあんまりアテにならないとも言うけれど、自分は旧唐書の曹萌さん説が正解だと思うー」としていました。通典ならば、旧唐書よりも本当っぽいかもしれない。

*6:この記事の脚注は、このご指摘に従って直したものです。ありがとうごさいました!

*7:もとの間違った文章は、デマを広めないように脚注の2に格納してありますorz。