リアルパンダスーツで思い出したパンダ史(?)の疑問点

まとめページつくりました(7月1日追記)

 5月23日に追加の記事を書いたので、この記事とまとめたページをつくりました。
 http://syulan.sakura.ne.jp/200706/panda.html


自宅でパンダになりきれる「パンダスーツ」

映画やテレビの企画製作を手がけるビルドアップはアニマトロニクススーツ(着ぐるみ)「ハイクオリティ・スーツ」のレンタル受付を開始する。第1弾は「パンダスーツ」。小型モーターで多彩な表情も表現できる。
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0605/31/news076.html

“パンダスーツ”を見てきた

ビルドアップの「パンダスーツ」は映画やテレビなど多目的に使える汎用アニマトロニクススーツ(着ぐるみ)。14のサーボモータで多彩な表情を浮かべるほか、CCDカメラも搭載したかわいいヤツと河原で遭遇してきた。
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0606/16/news066.html

 り、リアルだ! モフモフ! ところで、去年北京動物園に行ったときに来場者にくばっていてもらった四川省成都成都大熊猫繁育研究基地が出しているパンフには、以下のようなことが書かれていた。

中文
据日本《皇家年鑑》記載、公元658年10月22日、唐朝女皇武則天将一対活体白熊(大熊猫)和70張皮張作為国礼、送給日本天武天皇
てけとー訳
日本の『皇家年鑑』の記録によれば、西暦658年10月22日、唐王朝の女帝である則天武后がひとつがいの生きた白熊(パンダ)と獣皮七十枚を国礼として、日本の天武天皇に贈っています。

 これって整合性がとれなくないかー? と自分は思っているんである。疑問点としては以下のような感じ。

西暦日本の天皇(在位年)唐の年号唐の皇帝
658斉明(四)顕慶高宗
659斉明(五)顕慶高宗
660斉明(六)顕慶高宗
661斉明(七)顕慶/龍朔高宗
662天智(元)龍朔高宗
663天智(二)龍朔高宗
664天智(三)麟徳高宗
665天智(四)麟徳高宗
666天智(五)乾封高宗
667天智(六)乾封高宗
668天智(七)乾封/総章高宗
669天智(八)総章高宗
670天智(九)総章/咸亨高宗
671天智(十)/弘文(元)咸亨高宗
672弘文(二)/天武(元)咸亨高宗
673天武(二)咸亨高宗
674天武(三)咸亨/上元高宗
675天武(四)上元高宗
676天武(五)上元/儀鳳高宗
677天武(六)儀鳳高宗
678天武(七)儀鳳高宗
679天武(八)儀鳳/調露高宗
680天武(九)調露/永隆高宗
681天武(十)永隆/開耀高宗
682天武(十一)開耀/永淳高宗
683天武(十二)永淳/弘道高宗
684天武(十三)嗣聖/文明/光宅中宗/睿宗/睿宗(則天武后
685天武(十四)垂拱睿宗(則天武后

  • 天武天皇の在位は西暦673(672)年から686年、武則天則天武后)の在位は690年-705年で、658年にはどちらもかぶらないよ。658年に即位していた日本の天皇重祚した皇極天皇である斉明天皇で、唐の皇帝は高宗だ。
  • もしかして、西暦685年の間違いかな? それならば双方の在位にいちおうかぶる。
  • 『皇家年鑑』というのが何のことだか分からなかったので、とりあえず日本書紀巻廿九天武紀の天武十四年(685年)を見てみたけど、高麗や百済新羅からきた人がいろいろくれた話はあっても、そもそも唐から使者が来てなんかくれたという記述がみつからなかった。同じく、巻廿十六の斉明紀にもない。
  • 仮に685年の間違いだとして、その年にパンダが日本に贈られていたとしたら、685年(垂拱元年)の在位はいちおうとはいえ睿宗なのに、史書にわざわざ武則天の名で贈り主を書くものかな?

 と、なんだか腑に落ちないような気がしているのです。ただ、巻廿十六の斉明紀四年(658年)のところにこういう記述はあるのだ。

原文
是歳、越国守阿倍引田臣比羅夫、討粛慎、献生羆二、羆皮七十枚。
てけとー書き下し
是歳、越国守の阿倍引田臣比羅夫、粛慎を討ちて、生きた羆(ひぐま)の二、羆皮七十枚を献ず。
てけとー訳
この年(斉明四年=658年)に、越国守の阿倍引田臣比羅夫が粛慎(みしはせ=北部の民族)を討って、生きたヒグマ二頭、ヒグマの皮七十枚を献上しました。

 阿倍比羅夫蝦夷討伐をした将軍なので、この文章は「658年、阿倍比羅夫が粛慎という民族(蝦夷の人? まさか、中国史にでてくる中国大陸北部の民族である粛慎ではあるめぇ……そうだったらすごいけど)を討って、生きたヒグマを二頭とヒグマの皮七十枚を斉明天皇に献上した」というふうに読めると思う。だからさっきの成都大熊猫繁育研究基地のパンフは、日本書紀のこのくだりを中国の人がどっかで間違って解釈した結果なんじゃないかなぁ、という気がかなりしないでもない。メモ:こんど、旧唐書新唐書を当たってみる。でも、詳細はわからないとしても、むかし中国から日本にパンダのつがいが贈られたという話がもし本当だったとしたら、飛鳥時代とかの宮廷ではパンダを飼ったりしてたのか、という風景を想像してなごんだw。

日本パンダ保護協会が出している本にも天武天皇のことが書いてあるよ!

 最近発売された、四川省臥龍の中国パンダ保護センターで飼育されている超かわいい子パンダの写真集である『パンダ育児日記』。これは、黒柳徹子さんが名誉会長である日本パンダ保護協会http://www.pandachina.jp/)と臥龍中国パンダ保護研究センター(http://www.pandaclub.net/)が共同で出している本で、もふもふ子パンダの写真やまもりで自分も大好きなんだけど、そこにも上記の神武天皇則天武后のことが出ているのを発見。考証のための引用ということで、そのくだりを本文画像の転載つきで載せてみる。

 パンダ育児日記
 『パンダ育児日記』 中国パンダ保護研究センター/日本パンダ保護協会編、斉明・馮革訳、二見書房、2007年
 

中国と日本のパンダ交流

 今から1350年前に中国と日本のパンダ交流が始まったことを、日本の皆さんはご存じでしょうか? 臥龍のパンダ保護研究センターではその記念すべき資料を展示しています。それは、中国では唐の時代、日本では飛鳥時代にさかのぼります。ちょうど遣唐使が行き来していた頃のことです。日本の最初の歴史書日本書紀(皇家年鑑)』の記載によれば、685年10月22日、唐の女帝である則天武后が生きた雌雄の白熊(ペアのパンダ)と毛皮70枚を、日本の天武天皇に贈呈したとあります。そんな大昔に、パンダは日中親善の大使として初めて海を渡ったようです。その後、歴史上でパンダが日本へ渡ったという記録は見当たりませんが……(後略、本文10ページより)

 と、さっきの成都大熊猫繁育研究基地が出しているパンフと同じようなことが書いてあるよ! ただしこちらは西暦685年になっているので、自分の考えがちょっと正しかったのかもと喜んでみるw。それはいいとしても、この『皇家年鑑』に書かれているという史実らしきことの出典が気になるです。画像右上にあるオレンジ色の背景の資料は、写真が小さすぎて文章はとても読めないのだ。大昔にパンダが国交の一環として日本に渡来していたという話は日中友好のためにはすごくいいエピソードなので、細かい部分をあれこれ突っつきまわすのは野暮なことかもしれないけれど、自分的には気になる木。
(参考文献:『日本書紀岩波文庫、『中国歴史年代標尺図』漢語大詞典)