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  • 一覧表示の際は、記事は畳んでおきます。(2010/02/10)
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  • 5日にオリックスの小瀬が(報道によれば恐らくは)自ら死を選んだことを聞いて、自分は自分でも信じがたいほど落胆してしまいました。小瀬はオリックスの有望な若手だったので、プロ野球ファンの自分も彼の野球選手としての名声や成績はよく知っていましたが、しかし直接の関係としては、プレーを何度か見たことがあっていい選手だなあという印象を持ったことがあるだけで、自分にとっては挨拶さえしたこともない、いってみれば完全に知らない人なんですよね。
  • それでも自分は彼の死を知って非常に落胆し、6日夜までは小瀬のことが頭の奥に引っかかっていて意識が集中できず、ほとんど何も食べずにボンヤリしていて、遊びに来た友人にも上の空でいるので熱でもあるのかと心配されたりしました。6日夜にこれじゃいかんだろと思って、庭に飛び出して寒いなかで素振りをしてから熱い風呂に飛び込んだら頭がスッキリして、ボンヤリしていたことを反省できました。自分がボヤっとしていても、世間の迷惑であるだけです。
  • それで小瀬の自死について感じたことへの記事を書いたのですが、どう書いても小瀬に便乗して自分の思いを書いているようになってしまうので、やっぱり公開はやめました。
  • 人が不可抗力の死でさえなく、自ら死を選ばざるを得なかったということは、事情はわかりませんが、考えるだけでも辛く遣る瀬なく悲しいことです。そんな彼に、行き先を失ったファンの憧憬への責任までをも求めることはできません。ファンは誰でも生きてさえいれば、投影していた憧憬を奪われて大なり小なりの穴のあいた、憧憬の根源となった野球を愛する魂をいつか繕うことができるでしょう。
  • シーズン中にプロ野球が一日にセパ合わせて6試合を行うと、カードにもよりますが、平均的には大体一日に合計10万人ぐらいの観客が動員されているはずです。球場へ行けないファンは、その数十倍もいるでしょう。また、プロ野球選手が一人誕生するまでに、その選手の背後にはいったい何千人の、敗れてそこへ到れずに涙を流した選手がいたのでしょうか。
  • どうかもうどのプロ野球選手も、野球を愛する人がその背中に何十万もの純粋な憧憬と崇拝を注ぐ職業であるということを思えば、勝手な言い分ではありますが、その思いの行き場と、その価値さえをも自ら否定するようなことがないようにと願います。ファンは基本的には知らない人であるプロ野球選手を、しかしプロ野球選手であるというだけで心から愛し憧れ尊敬しています。前の記事にも書いたことなのですが、もしも天国というものがあるのならば、どうかそこにもまた、野球という素晴らしいものがあることを願います。