中日川上と読売上原のセリーグでの思い出

 メジャーリーグ挑戦のためのFA宣言が、米国の大不況にうっかりとモロにブチ当たってしまった中日川上と読売上原ですが、上原がオリオールズ、川上はブレーブスに無事売れたようで何よりですw。
 こないだも書いたような気がするが、08シーズン終了をもって、同い年の川上と上原は勝利数もぴったり同じ112勝になったのだ。

中日川上と読売上原のセリーグプロ通算成績(08年まで)

  登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ 無四球 打者 投球回 被安打 本塁打 与四球 故意四球 死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 WHIP 奪三振 防御率 勝率
川上
(98-08)
257 21 15 112 72 1 10 6728 1642.1 1543 169 351 21 42 1328 23 0 627 587 1.15 7.28 3.22 .609
上原
(99-08)
276 56 9 112 62 33 21 6154 1549.0 1354 183 206 17 28 1376 10 2 558 518 1.04 7.99 3.01 .644

 二人とも昭和50年生まれで同学年の大卒プロ選手だけど、上原は大学を一年浪人しているからプロ歴は一年遅れている。それでも、どっちも譲らぬ素晴らしい成績だ! 上原が一昨年ストッパーをやったぶん投球回数や勝ち数などは川上のほうに分があり、逆に通算での負け数や被安打・被本塁打数、失点などの数字は上原のほうが分がいいとかはあるし、そもそも投手としてのタイプが二人とも全然違う。しかし通算でのこの成績を見ると、なんて美しい数字なんだろうと思う。リーグを代表するエースとしてチームの柱となり、ここ十年間に渡って両雄並び立っていたことが、いつ誰が見ても分かる。中日川上と読売上原がビュンビュン投げあっていた、そんなセリーグだったんだと思い返せるだろう。
 そんな川上だが、自分たちが六大学付属の中高にいたときが川上の明大エース時代で、そのときは早稲田の三澤興一、慶應高橋由伸、明治の川上、それに早稲田のルーキー藤井秀悟といった選手が活躍しており、女子学生の憧れのマトだったもんだw。その後は法政の矢野英司慶應佐藤友亮、明治の辻竜太郎、法政の土居龍太郎などを経て、和田毅清水大輔が投げ比嘉・鳥谷・青木が打って守る早稲田の黄金時代、そして慶應のゴールデンルーキー加藤幹典が台頭するわけですが、まあその辺は今日はいいw。
 話を戻すと、慶應のプリンス高橋由は走攻守揃い、すばらしい打球の伸びがかっこいい上に爽やかな笑顔で女子学生からは一番の人気者であったw。いっぽうで、紫にMの明治のキャップをあみだに被り、木綿の割合が多い混紡地でできた明治のダボつくバンカラなユニフォームで登板して、大きく振りかぶった腕を曲がったキャップの真上からグワっと振り下ろして145km/hのよく伸びるストレートを打席の高橋(王子様風)に放ってくるふてぶてしい男前の川上は男子学生から大人気で、自分はどっちかといえば彼のファンでしたw。当時はまだ髪もフサフサと(ry
 そして高橋がヤクルト、川上が日ハムへ行くはずだったのがなぜか高橋が読売、川上が中日に入団し、当然のことながら川上は横浜ベイスターズとも対戦するようになる。こうして、大学時代と伸びは変わらないうえに球速・制球とも向上したストレートと、その上にカッターやスロカやフォークも緩急自在に放ってくるようになった川上に、打ち始めたら止まらんぜヒャッホーとか言ってた横浜マシンガン打線がキリキリ舞いさせられる日々が始まったわけです(三浦がHR打ったりしたけどなw)。石井琢がいくら粘ろうとも、横浜がいくらリリーフを仰ごうともマウンドから引き摺り下ろせずに、相変わらずあみだに被った中日のキャップの上から制球も乱さず自分が勝つまでコーナーを突いて無限に放ってくる川上のピッチングもだが、それに伴って増える打席で、プロの一軍打者の水準からいったら非常に荒削りに見える荒々しいスイングをもってして、ばっちーんとボールを叩いてヒットやときにはスタンドへ放り込んでしまうバッティングが自分はとても好きだった。マレンが打たれたときには泣いたがw。
 かたや上原ですが、自分は上原が読売で投げるまで彼を見たことがなく、よくいる話題の新人投手だろーぐらいに思っていたら、一年目にいきなり沢村賞とか獲ってしまったのでのけぞりました(いやあ、横浜は98年のうちに優勝しておいて本当に良かったw)。
 ルーキーによくいるムチのように身体をしならせて全身で放ってくるタイプではなく、先発でもワインドアップしないし、とくに大きく腕を振るわけでも、球が速いわけでも抜群の変化球があるわけでもなく突っ立って放ってくるように見えるのに、針の穴を通すような制球と上原自身が組み立てる変化球のコンビネーション、打者が(客もなw)考える間もない投球間隔、あとは少し捻って構えたグラブからほんの少しタイミングを外される。それだけで、横浜の打者は左右を問わずそのフォークにくるりくるりと三振してしまうのだから泣けたw。立ち上がりにモタついているうちにどうにか打ってしまわなければ、後はヒョイヒョイといつも赤いスパイクの(スパイクというより、紐が赤というかオレンジなのか)上原のペースで弄ばれるのを、指をくわえて見ているしかないなんて><。しかもどうせ一年目だけだろと思ってたら、多少の波はあるものの何年経ってもビュンビュン投げるし><。上原が投げたら横浜打線は古木がポコっとヒットを打てる程度で、あとは「よし、センター抜いた!」と思っても上原の芸術的なフィールディングの餌食にされたりで、8時半ごろにはヒーロー上原がニコニコと関西弁でインタビューされているのを、横浜は上原のおいしい夕飯じゃありません><と涙しながら見たものです(関係ないけど、それ以来横浜にも上原のような投手が欲しいと十年待ち望んでいたら、去年遂にミニ上原的な立教の小林太志を得ることができたので嬉しいw)。
 そういうわけで、川上や上原がセリーグで投げるのを見られた十年間は、ノされることも多かったがとても楽しいものでした。稀に上原に勝てた日のビールのうまさときたらw! この両雄は明らかにセリーグの輝かしい財産だったので、彼らがメジャーリーグへ移籍してしまうと、ベイファンの自分としては楽しみが減るので残念でなりません。でも、セリーグにも若いいいPは多く育っているし、何よりも川上と上原がメジャーでどのように投げるのかという別の楽しみができたじゃん! オリオールズブレーブスも本拠地はドームじゃないし、メジャーリーグは日程や移動も激務らしいので松井秀樹や福留のようにシーズン後半にバテてしまわないかが先発Pといえども心配ですが、112勝で渡米した両名には、メジャーでも勝ち数を競って、同じく勝ち星を増やして欲しいです。頑張れ川上と上原!!

  • おとといの夕飯は、鹿児島のサワラのカツレツ・付け合せに北海道のブロッコリー/千葉のカブの酢醤油和え/新潟のナメコ・油揚げ・豆腐の味噌汁/雑穀飯。衣にニンニクとチーズを刻んで、浅いゴマ油とバターで揚げ焼きにしてパっと少し荒塩を振っただけの寒サワラの切り身の皮ごとカツレツは、冬のメニューで一番人気のうまさー! 脂ののったサワラにサッパリとしたカブが合って、ヤッホーと飛び跳ねそうなほどうまいw。
  • 急に水曜日の休みを貰えたので、嬉しくて遊んでいたら四時になってしまった><どうでもいいんだけど、ここ何日か月がものすごく明るくて、深夜三時や四時なのに空が明け方のように白んでいるほどだ。忠臣蔵の討ち入りは旧暦の12月14日の晴れた(芝居だと雪だけど本当は晴れてたらしい)満月の未明(これも芝居だと明け六つですが、本当は未明四時ごろらしい)だったそうので、新暦だとちょうど今頃だろうから、こんな明るい月夜だったんだろう。三百年たっても、煌々とした冬の月はおそらく大して変わらない。