コピーレフトという概念があるらしい

 このブログの概要&プロフィール欄にも書いてあるけど、自分はこのブログで書いたりしたものすべての権利を、勝手に以下のような扱いにしている。

 「しゅーらん」に著作権のある文章や画像の引用や転載と改変、及びそれらの再配布は用途や有償無償を問わず自由連絡も不要ですが、もしもその際は(デマをばらまきたくないので)このブログかまとめサイトの該当ページURLを出典として明記してね。ただし他の人の創作物の引用部分については、元の権利者に用法を定める権利があります。
http://d.hatena.ne.jp/syulan/about

 自分は文章で飯を食っているわけではないので、遊びで書いたものはよければ自由に使ってください、というわけです。
 ところで、さっき「コピーレフト」というものを知ったんだけれど、この概念が上記の自分の勝手な考えにかなり似ていておもしろいので、リンクと引用を貼っておきます(下線筆者)。

コピーレフト

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 コピーレフト (copyleft) とは、著作権 (copyright) に対する考え方で、著作権法の下、公での引用、改変、内部情報と二次的著作物の再配布を抜け道なく可能にすることを目的とした概念である1984年にフリーソフトウェア財団を設立したリチャード・ストールマンによって提唱され、初めはソフトウェアに関して用いられたが、その後、ソフトウェア以外の著作物にも適用しようという動きがある(クリエイティブ・コモンズなど)。
 しばしば、GPLGFDL等(後述)の特定のライセンスを指す事もある。

概念

 コピーレフトの考えでは、著作権保持者はそのコピー(複製物)の受取人に対して取り消しの出来ないライセンスを認め、販売を含む再配布を許可し、翻案(改変)されることも可能とする必要がある。逆に、コピーレフトを利用する側では、このライセンスのものをコピーや変更、再配布する時にはこのライセンスをそのまま適用し、それを明確に示さなければならない
 コピーレフトの定義をまとめると次のようになる。

  • 著作物の利用、コピー、再配布、翻案を制限しない
  • 改変したもの(二次的著作物)の再配布を制限しない
  • 二次的著作物の利用、コピー、再配布、翻案を制限してはならない
  • コピー、再配布の際には、その後の利用と翻案に制限が無いよう、全ての情報を含める必要がある(ソフトウェアではソースコード含む)
  • 利用、コピー、再配布、翻案のいずれにおいても、複製物又は二次的著作物にコピーレフトのライセンスを適用し、これを明記しなければならない

(中略)
 「コピーレフト」という語は1984年にドン・ホプキンスがストールマンに宛てて送った "Copyleft--all rights reversed" というフレーズが元になっている。
(中略)

著作物の利用権の共有

 インセンティヴ論に基づく著作権制度という議論はあるものの、著作物の利用権を共有(準共有)することは、著作物をより発展させるための有用な手段となりうる場合がある。これは典型的な商業ソフトウェアが制作・流布される際に、複製や内的構造の研究(リバースエンジニアリング)や改変が禁じられているために、既存のソフトウェアを改良して新しいより優れたソフトウェアを開発する可能性が閉ざされている、という点を考えると分かりやすい。あるいは、インターネットを支える基礎的な技術はソフトウェアを共有し改良し合うことで発展してきたということを考えても良い。
 一般に、芸術作品や評論、解説文、コンピュータプログラムなどを含む著作物は、その作者が著作権を持っている。そのため、作者の許可を得なければ改変したり、(個人的なバックアップを除いて)複製したり、配布・販売することはできない。しかし、このような制度の枠組みは、作品を共有して多人数で共同的な創造活動を行う際にはかえって妨げとなり得る場合がある。
 そのためにまず最初に行われたのは、明示的に著作権を放棄したり(パブリックドメイン)、放棄はしないが「誰でも自由に使って良い」と宣言したり、という形で共有する方法であった。
 ところが、本当に誰でも自由に使えることにしてしまうと、共有・発展という作者の意図に反するような利用が行われることもある。パブリックドメインの状態にある著作物を改変した場合、二次的著作物はパブリックドメインになるわけではなく、改変者に著作権が帰属することになるためである。
 このような問題をストールマンが経験した際に、コピーレフトという発想が生まれた。シンボリックス社から、ストールマンが作成したLISPインタプリタを使いたいと打診された際、ストールマンは彼の作品のパブリックドメイン版を提供した。シンボリックス社はそのプログラムを拡張して更に強力なものにした。そして、彼のもともとのプログラムに対して拡張した部分を見せてくれるよう求めた時に、シンボリックス社はそれを拒否した。これは法的にはどうすることもできなかった。

共有状態の維持

 このような経緯のため、以降のソフトウェアの公開に際してストールマンは、著作権を主張し利用する際の決まりをライセンスに書くようになり、これがコピーレフトへと繋がっていった。
 つまり、利用権を共有するための仕組みとして、著作権を放棄するのではなく、ライセンス(利用許諾)の形で共有と共同的な創造活動を保護する方法を採る。すなわち、「著作権は私が有していて複製・改変・配布(販売)には私の許可がいるのだが、ソフトウェアを共有して発展させるという意図に反しないならば、いつでも誰に対しても利用を許可する」という形態を採る。
(後略)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%88

 とくに下線の部分は、自分が勝手にきめていた方針によく似ている。人ってものは同じようなことを考えつくものなんだなぁ、と感心した。
 ただし自分の場合は、引用元さえ明記してあれば、もとの文章などの「すべての内容を含め」ずに一部だけ使っても構わないし、使用目的も方法も「ソフトウェアを共有して発展させるという意図に反し」ようが反しまいが、いっこうに問題ないと思っている。煮るなり焼くなり好きにしてくんな、という感じだ。自分は創作活動で飯をくっているわけではないし、自分が遊びで書いて公開している程度のものは、間違ってもそれらを職業としている方の仕事を奪うようなレベルのものでもない。だから、いくらバラまいていても何の問題もないと思うんである。出展URLを明記してほしいというのも、へぼい内容やデマをばらまかないように、いつでもこれらのへぼ文を書いたやつが自分だということが判るようにしておいて欲しいと思っていだけなので、別にコピーレフトのライセンスを明記しなくても構わない。
 もちろん、自分が書いたものが何かの役にたつとは、とても思えないw。しかし、文章というのは意外なところで役にたつもので、たとえば古代エジプト人は亡くなった人をミイラにするときに、身分のある人はきれいな布や紙で全身を覆うんだけど、そこらへんの人は安くあげたいので、裏布や裏紙を再利用したそうなんである。そうすると、ミイラを覆う布の裏に「○月×日、暑いので鰻を食った、某君に二千円借りた」とかいうことが書いてあるんだけど、そんな書きつけが今ではいろいろとすごく重要な資料になったりするのだ。それに音楽のDJの人は、犬の鳴き声や電車の音までつなぎ合わせて見事に再編集して、一曲の音楽をつくったりする。だから自分も駄文をグダグダと書いて、あとは野となれ山となれーとコピーレフトでばら撒いておくんである。もしもいつか誰かが拾ってくれて、世界のすみっこで何かのお役に立つならば、これ以上の幸いはないと思う。