5月2日はブッダの2551回目の誕生日だったらしい

釈迦の生誕祭、2551回目を数える - インド

 【ハイデラバード/インド 3日 AFP】ハイデラバード(Hyderabad)で2日、仏誕祭(Buddha Purnima)が行われ、釈迦(しゃか)の2551回目の生誕日を祝った。ヒンズー教徒の多いインドでは仏教徒の占める割合はわずか1%だが、人々は宗教的熱気に包まれてこの日を祝った。写真は同日、ハイデラバードで行われた仏誕祭で儀式の角笛を鳴らす仏教僧。(c)AFP/Noah SEELAM
http://www.afpbb.com/article/1562300

 ということは、おしゃかさまは紀元前500年ごろに活躍した人なんだな。中国では春秋時代、ちょうど孔子老子、斉の晏嬰と同じころの人だ。とすると、周の文王や周公旦なんかはいわずもがな、秦の穆公とか宋の襄公、斉の桓公みたいな春秋前半の人はみんなお釈迦様よりも昔の人だ。かれらはみんな、お釈迦さまなんてカケラも知らずに政治とかしてたんだな、と考えると、なんかものすごいなぁと思う。もちろん、孔子老荘始皇帝もキリストもぜんぶ知らないわけなのだ。そういう、今となってはあって当然みたいな規範というか基準みたいなものがない社会があったと思うと、すごく不思議に感じた。それで彼らが縄文人のような原始人的生活をしていたというならば分かるけど、周なんか七百年も続いたしっかりした王朝で、礼記みたいな今読んでも遜色ないきちんとした漢文を書ける文化があって、歴史書もあって、魏晋南北朝になっても人が手本にするような律令や技術とかもあって、金属でつくった武器で戦争とかしてたわけだ。そんなふうに、時代が昔なので蓄積した知識や技術が少ないというだけで、本質的には現代と遜色ないレベルの知性によって治められて立派な社会が営まれていたのに、そこのトップから学者からそこらのおじさんまで、誰ひとりとして釈迦も孔子もキリストも知らなかったのだ。日本は古い時代の中国文化の影響がとても強い国なので、春秋左伝なんか漢文で原文のまま読めるし、書いてあることもそんなに異文化だとは思えず、自分の国の古い歴史書みたいな気がするのに、彼等はじつはお釈迦さまもキリストも知らない人たちだったというのがすごい。たとえば、見かけはぜんぜん普通の会社に入社してごく普通に楽しく仕事をしていたら、あるとき自分以外の全員がパンツはいてなかったってことに気づいた、というかそもそもパンツの存在を誰ひとり知らなかった、しかもその会社は何の問題もないちゃんとした東証一部上場企業で、といった衝撃。それが悪いというわけではぜんぜんなくて、ただ中国っていうのは本当に歴史の長い国なんだなぁと思った。