文献上に残る七夕伝説の初出は文選の古詩十九首らしい

 七夕ですね! Wikipediaを見ていたら、文献に残っている七夕の恋愛伝説の初出は文選の古詩十九首らしい(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95)。↓これだな。

古詩十九首之十、迢迢牽牛星(無名氏)

迢迢牽牛星  皎皎河漢女
繊繊擢素手  札札弄機杼
終日不成章  泣涕零如雨
河漢清且浅  相去復幾許
盈盈一水間  脈脈不得語


(てけと書き下し)
「迢迢(ちょうちょう)たる牽牛星、皎皎たる河漢の女
繊繊として素手を擢(ぬ)き、札札として機杼を弄る
終日 章を成さず、泣涕 零(お)つること雨の如し
河漢は清く且(か)つ浅くして、相(あい)去ること復(ま)た幾許(いくばく)か
盈盈として一水が間(へだ)てれば、脈脈として語るを得ず」



(てけと訳)
牽牛星(わし座のアルタイル)ははるかに高くあり、織女星(こと座のベガ)は大きな天の川のほとりで明るく光っています。
織女は細くしなやかな白い手で糸をえらび、トントンと機織りの器械をあやつります。
彼女が一日じゅう機を織っても布はちっとも模様にならず、涙は雨のようにこぼれ落ちます。
天の川は澄んでいて浅いのに、おたがいにまた別れてからどれほど離れていることでしょう。
この河の水が満ち溢れてわたしたちを隔てているので、お話しもできずにお互いにじっと見つめあうだけです」

 うう、泣ける話だー。しかし、織女が河のむこうでこんなに泣いているのに、牽牛はいったい何をしているのだろうか。彼もまた対岸で、「織女に会いたいようエーン」と泣き濡れているんだろうか。彼も男ならば、どうにかして彼女を幸せにすべきじゃなかろうか。美人の婚約者(妻?)を一年中ただシクシクと泣かせておくだけの牽牛は、思うにわりとダメな男である。

 短冊があまったので、星に星を願ってみたw。今日は雨なので、だめ男の牽牛が好きな織女さんにはお気の毒であります。

詩経にも牽牛と織女の名がでてくる(7月9日追記)

 コメント欄で、Kayさんに以下のことを教えて頂いた。ありがとうございます! こんど『大東』もぜんぶ訳そう。

Kay 『どうも〜。
さらに古く、『詩経』にも一応、織女と牽牛がいるようですが、
まだ恋愛には発展していないようですね。
維天有漢 監亦有光 跂彼織女 終日七襄
雖則七襄 不成報章 皖彼牽牛 不以服箱
↓ここで見つけた。
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/ta77sika_chn.html


漢の時代に、男女の話として完成するとも聞いています。
そういえば、我が応援する後漢光武帝劉秀も、
河北へ単身赴任したので、
結婚した陰麗華と黄河を挟んで3年近く離れ離れですね。
リアル七夕〜(ちょっと無理か……)。
あれ? でも牛といえば、確かに劉秀だな……』 (2007/07/07 07:31)

syulan 『ありがとうございます。
ほんとだ! 詩経の小雅、谷風之什の『大東』に、悲恋の形にはなってないけど、牽牛と織女の名が出てくるんですねー。
ウィキペディアに付記しておきましたw。
詩経のころは、まだ天帝に別れさせられていなかったのかなw。


光武帝は「だめんず」の対極にあるお方なので、
陰皇后は婚約者が河北に赴任しても、結婚を何十年も待たされても、牛にのって挙兵しても、先によそのお金持ちのお嬢さんと結婚して子供ができても……
あれ、こうして列記してみると陰皇后もかなり苦労させられていますねw。最後は幸せになれてよかったです。』 (2007/07/09 03:21)

 牛いいよね牛! 日本でも菅原道真公は牛が好きで、やたら牛に懐かれたり牛を飼ったり牛に乗ったりしたので、いまでも湯島天神には牛の像がある。しかも道真公は三百年後、源頼朝公が春日にある北野神社で昼寝してるところにまで牛に乗って現れて、頼朝公に牛上からありがたいお告げ(!)を垂れたので、感激した頼朝公が記念につくった牛の像がいまでも北野神社にあって、牛天神と呼ばれているのであります。
 しかし、牛に乗って夢に現れるってどうよw。頼朝公も感激しつつも、思わず笑っちゃったであろうw。
 牛! 牛!( ゜∀゜)o彡゜