天安門にある毛沢東のでかい絵が焦げたらしい
毛沢東肖像画に発火物 北京の天安門 '07/5/13
【北京12日共同】新華社電によると、北京市警察当局は十二日、同市の天安門に掲げられている故毛沢東主席の肖像画に手製の発火物を投げ付けたとして男を拘束した。肖像画の左下部分に焦げた跡が付いた。
当局によると、拘束されたのは新疆ウイグル自治区ウルムチ出身の無職の男(36)。昨年、精神障害で通院した記録があるとしている。当局は、肖像画を新たなものに取り換える見通し。
ロイター通信などによると、週末の観光客でにぎわう現場付近と隣接する天安門広場が一時警察当局により封鎖され、近接する故宮博物院への出入りは禁止された。
この肖像画をめぐっては天安門事件が起きる直前の一九八九年五月、湖南省出身の男がペンキをかけて逮捕され、懲役二十年の判決を受けた後、昨年二月に釈放されている。
また、二〇〇〇年には、気功集団「法輪功」のメンバーがこの肖像画を法輪功創始者の肖像画で覆おうとする事件が起きるなど、中国共産党一党支配の「象徴」と受け止め、抗議活動の対象にする動きも絶えない。
肖像画は北京の中心部、天安門広場を見下ろすように飾られている。故宮博物院などを見学する観光客らが肖像画を背景に写真を撮る姿も目立ち、北京の観光名所の一つだ。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200705130067.html
へー。去年の暮れに自分が行ったときには、こんな感じでした。
なんか電飾がついていて、すごいことになっていた。
天安門は明以降の王朝につかわれていた皇居(紫禁城/故宮)の正門にあたる門で、入り口の手前にはお堀があって、そこに五本の橋がかかっていて、それぞれが門に通じる道になっている。そいで、皇帝だけが真ん中の橋を通れたらしいんである。自分が去年見物にいってみたときにも、真ん中の橋は通れないように人民解放軍の軍人さんが警備していて、観光客は左右の四本の橋を渡って天安門をくぐって紫禁城(故宮博物院)に入るようになっていた。その普通の人は通っちゃいけない真ん中の橋の正面に、毛沢東のでかい肖像が掲げられているんである。そう考えると、この真ん中の橋をとおって天安門にのぼり、いまの中国政府による建国を宣言した毛沢東は二十世紀中国の皇帝だったんだなぁというふうに思える。中国ははじめ漢民族の王朝だったけれど、非常に多くの民族の長がその皇帝の地位を欲しがって奪おうとして、いくつかの民族はそれに成功し、異民族王朝を建てることに成功して皇帝になっている。でも、また彼等もしょっちゅう殺されて皇位を奪われているので、こんなことも中国史のなかではよくあることで、そうやってこれからも膨大な歴史の流れに飲みこまれていってしまうのかもしれないと思った。
皇帝専用の門を通っちゃいけない話で思い出したんで、後漢書の曹植と楊脩さんがよっぱらって司馬門を爆走したっつーくだりをメモしておく。
これが本当にあった事件なのか、それとも楊脩と曹植に対する讒言なのかを自分は知らないし、楊脩さんが処刑されたのもこの話が直接の原因とは限らないんだろうけど、三世紀の昔から中国には皇帝しか通っちゃいけない道ってのがあって、それを破ることは五代の重臣を処刑する名目にもなる重罪だったんだなぁ、ってことが分かるような気がする。