助けたスズメがぺらぺら喋るようになったらしい

スズメが9種類の言葉操る 三重・紀北町の食料品店

 三重県紀北町紀伊長島区三浦の食料品店「中野章吾商店」で、中野八重さん(85)と長女の章子さん(58)ら3姉妹が保護しているスズメ「チビ」が、オウムやキュウカンチョウさながらに人間の言葉を発し、近所で評判になっている。日本野鳥の会本部(東京都)も「あまり聞いたことがない」と驚いている。チビは6年ほど前、右足をけがして道端に落ちているところを近所の子どもに助けられ、以前から鳥を飼っていた中野商店に託された。屋内の鳥かごで生活し、八重さんらが毎日優しく話し掛けるうち「おはよう」「こんにちは」「いってらっしゃい」と次第に人間の言葉をまねるように。今では9種類の言葉を発する。一番上手なのは「いらっしゃい」で、全く覚えようとしないのが「ありがとう」。人の呼び掛けに応じるのではなく、朝方と昼すぎに独り言のように“話す”ことが多いという。はっきりと「ひでちゃん」と二女英子さん(56)の愛称を繰り返すことも。日本野鳥の会本部は「鳥類は一般的に学習能力が高いとされている。個体として発声能力も高いのでは」とみている。(中日新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007051290030134.html

 これは……後漢の楊宝さんの予感がw。楊宝さんの雀の話は某所でも書いたんだけど、ここにも書いておこう。

後漢書巻五十四の楊震列伝第四十四註より

白文
続斉諧記曰、宝年九歳時、至華陰山北、見一黄雀為鴟梟所搏、墜於樹下、為螻蟻所困。宝取之以帰、置巾箱中、唯食黄花、百余日毛羽成、乃飛去。其夜有黄衣童子向宝、再拝曰、我西王母使者、君仁愛拯救、実感成済。以白環四枚与宝。令君子孫潔白、位登三事、当如此環矣。
てきとー書き下し
続斉諧記に曰く、宝の年(とし)九歳の時、華陰の山北に至りて、一つの黄雀が鴟梟(しきょう)に為(よ)り搏(とら)わりて、樹下に墜ち、為に螻蟻(ろうぎ)に困(くるし)まるを見る。宝は之(これ)を取りて以って帰し、巾箱の中に置き、唯(ただ)黄花を食らうに、百余日で毛羽が成り、乃ち飛び去る。其の夜に黄衣の童子の宝に向う有りて、再拝して曰く、我は西王母の使者なり、君の仁愛はに拯救(じゅきょう)され、成済を実感す。以って白環四枚を宝に与う。令君の子孫は潔白にして、位(くらい)三事に登ること、当(まさ)に此の環の如き矣(かな)。
てきとー訳
続斉諧記にいわく、楊宝が九歳のときに、華陰の山北にくると、一羽のすずめがフクロウにおそわれて、樹下におち、アリやケラにくるしんでいるのを見ました。楊宝はこれをひろってつれて帰り、布をしいた箱の中に置いて、菊の花をたべさせてやったら、百日ぐらいで羽根がちゃんとそろい、飛んでいきました。その夜にきいろい服の子供が楊宝のところにきて、再拝して、「わたしは西王母の使者です。あなたのやさしさに救いめぐまれ、ほんとうにたすかりました」と言いました。そして白環四枚を楊宝にくれました。尚書令どの(楊宝)の子孫は悪いことをせずとも、(四代にわたって)太尉・司徒・司空に出世しましたが、まさにこの環のごとくでした。

 この楊宝さんの息子が、「天知る地知る……」の名言で知られ、讒言をうけて自決した楊震さんなのです。そいで、五代目の子孫にあたる楊脩さんは曹操に処刑されている。そう考えると、楊宝さんは輪っかをもらわないほうが良かったんじゃ……という気もするような。スズメは一生懸命考えてお礼を持ってきてくれたのかもしれないけど、やっぱ子スズメのすることだから決めが甘いというか、気持ちだけ受け取っておけばよかったのかも。でも、実際にスズメがなんか持ってきてくれたら、きっとかわいすぎてなんでも受け取ってしまうだろうw。