ヒナゲシと虞美人とRemembrance Day

 ヒナゲシが道の隅っことかそこいらじゅうに咲いていて、とてもかわいい。

 これは前に別のところでも書いたのですが、第一次大戦終戦記念日をRemembrance Dayといって、この記念日の象徴は赤いケシの花です。大戦当時に西部戦線が膠着していたフランダース高原のIeper(イーペル)というところに、戦後の年に赤いケシの花が限りなく咲いていたからなのだそうです。なんでかというと、フランダース高原にはもともと毎年赤いケシが咲いてはいたのですが、ケシの種というのはアンパンやベーグルの上にのっているやつを見ても分かるとおり、とても小さくて軽いので、普段は土に落ちても全部が根を張って咲けるというわけではないです。しかし戦線が膠着して、軍靴や軍馬や塹壕が結果的に土を耕したので、翌年にはそのよく耕された土に赤いケシがびっしりと咲いたらしいのです。そいで、ジョン・マクレイ中佐という人がその光景を『In Flanders Fields』という詩に詠んだところ、それが有名になって、終戦記念日のモニュメントになったという訳であります。
 で、ヒナゲシがなんの関係があるかっつー話ですが、紀元前三世紀の中国の将軍項羽が垓下で四面楚歌の状況におちいったときに、彼とともに死んだ愛妾の虞美人の墓地から可憐なヒナゲシがいっぱい咲いたというので、ヒナゲシのことを虞美人草と呼ぶわけです。これは推測なのですが、自分はこのときに咲いたヒナゲシも、フランダースと同じように軍馬によってか、あるいはお墓(塚)を造設するにあたって土地が耕されたためにいっぱい咲いたんじゃないのかなぁ……と思っているのですが、なにぶん根拠がないよっと。

調べる・訳す

  • 垓下の地理と気候(漢書
  • 虞美人のお墓の場所の地理と気候(漢書
  • John McCrae中佐のIn Flanders Fieldsを訳す(著作権は切れてるはず)

"In Flanders Fields" Lieutenant Colonel John McCrae


In Flanders fields the poppies blow
Between the crosses, row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.


We are the Dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved, and were loved, and now we lie
In Flanders fields.


Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.